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2024.08.29フェンシング古俣聖選手、銀メダルとともに新潟へ凱旋「プレッシャーから解放されほっとしている」【新潟】

フェンシング古俣聖選手、銀メダルとともに新潟へ凱旋「プレッシャーから解放されほっとしている」【新潟】
新潟市出身・古俣聖選手
パリオリンピック・フェンシング男子エペ団体の古俣聖選手が、銀メダルを携えて地元・新潟市に帰ってきました。UXのインタビューで古俣選手は「プレッシャーから解放されてほっとしている」と激戦を振り返りました。

オリンピックの舞台から3週間がすぎ、古俣聖選手が地元・新潟でUXのインタビューに答えてくれました。
■古俣聖選手
「銀メダル取れてうれしかったが、時間を置いてずっとどこかしらにプレッシャーがあったので、プレッシャーから解放されてほっとしている。」

古俣選手は、男子エペ団体の4人目のメンバー、リザーブとして選出されたものの初戦の準々決勝途中から出場メンバーに抜擢、決勝戦まで日本代表の一員として活躍しました。ハンガリーとの決勝戦にも出場し、同点に追いつく獅子奮迅の活躍で日本の追い上げをけん引、金メダルまであと一歩に迫りましたが銀メダルとなりました。
■■古俣聖選手
「決勝に入る前に少しだけ自分のいい感覚を取り戻すことができた。試合の中で自分で修正するような今までできなかったが、それができたことで手ごたえを感じた。」

古俣選手がフェンシングを始めたのは5歳の頃。自宅隣の特設道場で、姉・潮里さんとともに世界大会出場の経験を持つ父・治久さんから指導を受け、技を磨いてきました。

パリ五輪で最も印象に残っている場面について、古俣選手が挙げたのは・・・
■古俣聖選手
「印象に残っているのは、決勝の一番最初にこちらのランプだけを灯した一番最初の1点。決勝前にいい感覚を取り戻すことができて、これなら行ける。1点取ってやっぱり行けた。これなら大丈夫と自信を持てた1点だった。」

また、決勝の第7試合、聖選手の3試合目、3点差から一気に3連続ポイントを挙げ、同点に追いついた場面については?
■父・治久さん
「14対15で決めた1本がすごく印象的だった。あれでハンガリーは聖を警戒した。決まったものを教えたのではなく、教えたものを彼が進化発展させていった形。」
■古俣聖選手
「自分の基礎・ベースは、父との練習でできた部分。その辺のセンスを磨いてくれたのは父との練習。」

さらに、地元・新潟からの応援も力をもらったと語る古俣選手。
■古俣聖選手
「たくさんの方々から様々な形で支援していただいた。それがなかったらメダルは取れていなかった。あらためてお礼を伝えたい。自分の活躍を見てフェンシング面白そう!カッコイイ!と思ってくれて始めてくれる子がいたらものすごくうれしい。」

今後に向けて、新たな目標は、4年後のロスオリンピックに向かっています。
■古俣聖選手
「団体で金メダルを取りたい気持ちが強くなった。4年後のロス五輪に向けてがんばりたい。」
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