新潟あの時そして今⑧
50年前の1959年12月14日。
新潟港から出港した船を皆さんはご存知ですか?
この日から25年に渡り、
およそ190隻の船が北朝鮮に渡った「帰国事業」。
最初の3年間で7万人以上が、
25年間では約9万3000人の在日朝鮮人
(厳密にいうと在日韓国・朝鮮人・・「朝鮮籍」の人々で
故郷は現在の韓国という人が
80パーセント以上だったそうです)とその家族が
ここ新潟から海を渡りました。
その中には、日本人妻1800人を含む6700人の日本人が・・・。
当時は「日本国籍」と「朝鮮籍」の二重国籍のまま
「再入国不可」ということで
日赤が「帰国意思の最終確認」をして
送り出す事になっていたのですが・・。
その実は、原則30世帯ずつを
集落の取りまとめ役が勝手に申し込んでしまったりと
知らない間に申し込まれていた人も多かったようで、
最終意思確認も厳密には行なわれず、
日赤新潟センターに掲げられていた
「再入国は不可」というポスターは、
当時の写真などによるといつのまにか、
小さく書き換えられていたとか・・・。
この帰国事業について、
18年間取材を続けている朝日放送の石高健次記者にも
お話しを伺う事ができました。
石高さんによると、その9万人のうち2万人近くが
行方不明(安否がわからない状態)になっているといいます。
日本人妻たちは「3年たったら里帰りできる」という
偽情報を信じ、行ったまま、
これまで何度も日本政府や支援団体が里帰りを申し出たものの、
1990年代の後半に数十人が
一度きりの里帰りを実現しただけでした。
この船の後を引き継ぐように
、親族訪問の役割を担い就航したのが「万景峰号」です。
帰国者らの親族は、北朝鮮での厳しい生活を知りつつ、
物資を送り続けることしかできません。
またその帰国者を「人質」に
北朝鮮の工作員が「日本人拉致」を支援するよう、
日本にいる在日朝鮮人に働きかけてきたことも
シン・ガンス工作員の逮捕で明らかになっています。
また、日本人妻らの親族は、
この船にも乗ることができず、再会を果たせないままです。
50年経った今、
当時帰国者を笑顔で見送った新潟の関係者や、
子どもを残したまま、命をかけて脱北してきた
日本人妻らを取材しました。
今も終わらず続いている悲劇・・。
それが新潟を舞台に繰り広げられたことを
改めて感じるとともに、
では今からなにができるのか・・
考えさせられました。